議員活動支える「地域愛」
相模原市南区古淵にある私の生家は、鎌倉時代後期から続き、名将・新田義貞とのつながりがあると伝わる家柄です。
江戸時代には、代々庄屋を務め、亡父の隣(さとる)も長く市議の職にありました。私は、父の引退を契機に後を継ぎ、その後、県議に転じて現在4期目を務めています。
~実業から市議へ~
今でこそビルの立ち並ぶJR古淵駅周辺ですが、私が生まれた1958(昭和33)年当時は、あたり一面、畑と雑木林が広がる農村地帯でした。
陸稲や桑が栽培され、牛の放し飼いも行われ、自身も桑の葉を積んで蚕に与えた経験があります。
地元の大野小、大野北中を卒業後、日大高校、日大法学部で学んだ私は、高校、大学ではサッカーに熱中していました。
そして、1980(昭和55)年、古淵にある実業の北相石油(ガソリンスタンド)に入社し、95(平成7)年に代表取締役、翌年にマサハ(不動産管理)の代表取締役に就任しました。
この間、相模原青年会議所(JC)に入会して同世代の仲間との交流を深め、相模原のまちづくりのため活動し、92(平成4)年に理事長も務めさせて頂きました。
そんな私が、政治の世界に足を踏み入れたのは2003(平成15)年で、父親の引退が機となった市議選への立候補でした。
細谷家は、地域と共に歩み、地域に育てられたことに加え、大勢の皆様方からも声を頂いたことから、一念発起し、感謝の気持ちを持って地域の役に立ちたいと考え、立候補を決意しました。
初めての当選となり、自身の議員活動が始まりました。
~県議へ転出~
市議在職中に当時の小川勇夫市長から、県議への転出を薦められました。
私としては「地域を心から愛している住人の代表として市議選に出ます」と伝え一度は固辞したものの、重ねて求められたこともあり、2007(平成19)年の県議選に出馬しました。しかし、準備不足を挽回できず、落選という結果でした。
挫折を味わった私は、挫けることはなく、再チャレンジに燃えました。
地域内外で住民の皆様と活発に交流し、PTAなどにも積極的に参加し地域貢献に努める日々をすごしました。
そして、次のチャンスとなる2011(平成23)年の県議選では初めて市内3選挙区別に行われ、南区で大差をつけて当選を果たすことができました。
私は何事も経験することが大事だと思っています。
苦しい時期を経験したからこそ、一人ひとりの困りごとを理解し、その人の立場になって相談に応じることができることを学びました。
以降、2015(平成27)年、19(平成31)年、23(令和5)年の県議選では、同様に再選を果たし、現在に至っています。
~優先施策~
自身の施策として真っ先に掲げているのは、「地域の安全・安心」です。
地域・行政・警察機関の連携を強化し、子供や高齢者にやさしいまちづくりを進めたいというのが骨子であります。
同時に「教育環境の充実」も重点目標の一つです。
未来を担う子供たちを地域で育てる学校づくりを柱に、教育制度の検討、子供を取り巻く環境の整備と改善、さらには子育て支援も視野に収めた提言です。
そして「地域経済の活性化」も忘れてはならない大事な事だと考えています。
県内への企業誘致、商店街や中心市街地の活性化に向けた基盤整備、地域に根差した産業の活性化、中小企業の財政支援も目標に掲げています。
~おわりに~
私は「地域愛」こそが、自身の議員活動を支える礎だと思っています。
皆様の声を県政に反映させ、諸施策を実現し、住民の皆様に「本当に住んで良かった」と言われる神奈川にするために、引き続き精進してまいります。